1 9 9 9 年 1 2 月 3 1 日
ワディ・ラムとアンマン市内観光

rakuda <

99/12/31 ペトラ 快晴

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 昨日、一日中、歩き続けたのに足は痛くなかった。意外に若いのかもなんて自信過剰(^^;; 今日は、映画「アラビアのロレンス」のロケ地であるワディ・ラムを観光。岩砂漠の中を4WDで駆け抜けるのだ。ワディとは涸れ谷を意味し、ラクダを飼うベドウィン(遊牧民)の住む場所でもあったということだ。午後は、アンマンに戻り、市内観光。市内を一望する城郭、ローマ劇場、考古学博物館を見学する予定だ。
 バスは、ペトラの岩山群を下方に眺めながら、ワディ・ラムに向かった。こうやってペトラ一帯を見渡すと、どこに昨日訪れた遺跡があるのかまったくわからない。もともと、ペトラの町に入る道はシークしかなく、それが敵から身を守っていたといわれる。

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 バスは、テーブルマウンテンのような岩山が連なるデザートハイウェイを南下。このまま進むと港町アカバに着くのだが、途中で左に折れる。いよいよワディ・ラムらしい景色が左右いっぱいに広がってくる。まるで、映画のセットの中を走っているようだ。バスから降り、4WDに乗り換える前に紅茶を飲んでベドウィンの村のようなところで、休憩。
 そして、1台に6人ずつ、4台の4WDに乗って出発だ。しかし、4WDとは言っても、そうたいしたものではなく、軽トラックで、その荷台に6人が乗るだけのものだ。埃だらけになると言われていたが、それほどでもない。映画のシーンのような風景はさらに目の前に迫ってくる。そして、車はゆれるゆれる。カメラのファインダーも覗けない。ロレンスの泉と言われる場所に到着。なんと、この乾いた大地に水が沸いているのだった。しかも信じられないことに、高い岩山の途中に。見上げると、はるか上のほうから水をひいているホースのようなものが降りてきている。その後、岩山の割れ目に向かう。谷になっているような所だが、もちろん水は流れていない。そこからは、映画「アラビアのロレンス」の撮影現場が見える。谷を作っている岩山は、近づくとそれはそれはとても巨大で赤く色づき、昨日のペトラのように岩肌がチョコレートのように溶けている。雨によって、柔らかい部分が溶けているらしい。大自然が作り上げた巨大な建造物に圧倒されてしまった。スペインで見たガウディ建築の大自然版といったところだろうか。ガウディはこの地域の岩山を見てひらめいて、サグラダファミリア大聖堂に見られるあのような独特の建物を設計したのではないだろうか。谷の中に入って行くと岩肌に様々な絵文字が彫られている。ひとつひとつモハメッドさんが説明してくれるが、他の欧米人ツアー客と一緒になってしまい、狭い谷を歩いているので聞くどころではなく、写真を撮るのでせいいっぱい。

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 再び、4WDの出発点まで戻り、昼食。オープンテラスのようなところで、食べたが、最初に出ていたマカロニサラダにある疑いが。。。僕はすでに少し食べてしまった。誰かが「食べるな!」と言っている。どうやら、古いもので、お腹を壊すかもしれないらしい。臭ってみた。確かにすえた臭いがする。Yさんに正露丸をもらった。ここで、お腹を壊してしまったら大変だ。どうやら、昨日作っておいたものを出したらしい。ラマダン中なので、味見ができなくて、今日、そのまま出してきたらしい。ラマダンではなければちゃんと味見したのだろうか。なんだか怪しい。他のサラダも食べる気がなくなり、皿ごと取り替えてしまった。午後は日程がつまっているので、すぐの出発となった。

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 アンマンに着いたころはもう夕方だった。冬なので、日が短くて観光時間もそれに伴い必然的に少なくなるのだが、これはどうしようもない。オレンジ色にそまるアンマン旧市街の家々を見ながら、城郭に登っていった。その上には考古学博物館があるのだが、すでにクローズ。明日、朝、9時開館ということで、明日もう一度くることに。しかし、この高台からのアンマン市街の眺めはとても良い。下にはこれから行くローマ劇場も見えている。西空は真っ赤に燃えはじめた。
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 ローマ劇場に行く途中は、アンマンの中心地を通っていく。今日は大晦日ということもあるのか人手が多いみたいだ。マクドナルドもあるが、とても高くて客足は途絶えているらしい。あちこちに2000という数字が目に入る。ローマ劇場に到着。日本ではあと20分あまりで2000年を迎える。僕たちはここの劇場で新年を祝うことにした。「蛍の光」を歌いはじめるKさん。何人かが付いていく。なかなか声のいいKさんだ。そして、モスクの鐘?のような音で午後5時が伝えられた。同時に、日本は西暦2000年を迎えたのだ。みんなで「年の始めの〜〜」を歌った。ローマ劇場で何人か本を読んでる欧米観光客達には迷惑な日本人たちに違いなかった(^^;; 劇場を出て、お巡りさんが食事中だったので、冷やかしをいれて、ホテルに向かった。日が沈み、一生懸命食べているところを、また迷惑な日本人だと思われたに違いない。
 今日、ホテルのレストランでは、年末の特別なメニューが用意されている。さらに22時から明け方までニューイヤーパーティだ。いろんな国の観光客が参加するらしい。ものの試しに出てみようと思っている。パーティーはこれからだ。
99/12/31 (金) 午後 07:21:49 at MERIDIEN HOTEL(AMMAN)

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【ニューイヤーパーティー】
 9時にロビーに集合。埃まみれになった靴を洗い、ジャケットを着てレストランに向かった。特に周りの欧米人はビシッと決めていてちょっと気後れしてしまう。9時半になってもレストランは開かない。他の日本人のグループがなんかあたふたしているようだ。何でも、参加のおじいさんが急に倒れて大変らしい。若い男性添乗員だったが、大変だろうなあ。連れのおばあさんが「もう年だからしょうがない」みたいなこと言っているのが、優しさがないとツアーの人に不評だそうだ。やっと案内されたのは、地下のレストラン。パーティールームだ。まだ、誰も入っていなかった。一番乗りのようだ。23名予約が15名に減ったのだが、それがレストラン側に伝わってなくて、理解してもらうのに一苦労とKさん。しかし、なぜかKさんが一行を仕切っている。
 席に着くなり、Kさんが言った。「いやあ〜、大変なことが起きたよ。」みんなの視線が釘付けになった。言っていいのかどうか迷っている。しかし、みんなのリクエストに負けてKさん、ついに発表。「一人パスポートをなくした」ということだった。それで、今、添乗員Aさんが警察や、大使館、旅行会社と走り回っているのだそうだ。そんな大変な状態なので、Kさんが添乗員補佐をやっているというわけだ。しかし、なくしたとするとどうなるんだろう。早速明日、シリアに入るのに必要だ。ヨルダンの日本大使館はとても親切で、書類さえ整えられれば30分で発行できるといっているが、問題なのは、日本の外務省。3日まで休みなので、4日にならないと対応してくれないのだ。とうことは、なくした人(Sさん)は、ここアンマンで足止めということになってしまう。うん、待てよ。シリアに入るにはビザが要る。ビザは団体ビザなのだ。ということは、一人でも欠けてしまうと、全員、シリアには入れなくなるのでは?そんな心配はあるものの、なんとか人数調整は添乗員さんがやってくれるだろうとみんな割と楽観的。
 テーブルの上にはサラダのような前菜が置いてある。しかし、暗くてあまり見えない。ここに人たちはこんな暗がりの中で食事するのだろうか。Yさんの懐中電灯を借りて、照らしてみてから食べた。こんな食事も珍しい。料理はビュッフェでちょうど今、用意されたらしい。僕たちは一番のりでとりに行く。10時過ぎると、どっと人が入ってきた。そして、生演奏も始まった。そして、ヨルダンの歌やダンスが始まった。とてアラビックな音楽で、トルコに行ったときに見たベリーダンスのバック音楽に似ている。そして、深淵が近づいてくると、一人一人にパーティーグッズが配られた。みんな仮装して踊って2000年を迎えるらしい。歌い手が変わり、そして新年まであとわずか5分。だんだんと人の動きが出てきた。席を立ち、シャンパンを持っている人、、キスしている恋人達、そして、みんなが一列になって踊りながらステージにあがってくる。新年あけましておめでとう!カウントダウンはなかったが、雰囲気でわかった。ステージの上では人がひしめき合って踊っている。一息ついた後、ベリーダンスが始まった。2曲目が終わったあと、僕たち日本人は引き上げることに。もうちょっといたかったのだが(笑)
 部屋に戻ってぐったりとしてしまい、一時間くらい寝てしまった。再び起きて風呂に入った。明日は博物館、そしてジェラシュ遺跡観光、その後、国境を越えてシリアに向かう。

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