2 0 0 0 年 1 月 2 日
ダマスカス市内観光

rakuda

00/01/02 ダマスカス 晴れ時々曇り

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 8時半、ホテル出発。今日は午前中、ダマスカスを市内観光し、午後はパルミラに向かう。ダマスカスはでは、洗礼者ヨハネの首が葬られているウマイヤド・モスク、キリスト教を弾圧したパウロが改宗するパウロの回心にまつわる聖アナニア教会、シリア全土からの出土品を展示した国立博物館を訪れる予定だ。
 ダマスカスの町は、全くアンマンと違った顔を見せている。町は、車と人であふれかえり、活気に満ちている。交差点は噴水があり、水も割と豊富なようだ。しかし、この町も北部の湖から水をひいてきていて、この水量が酸くなくなっていることから決して無駄に水を使うことができなくなってきているらしい。世界的な異常気象のため、雨季なのに雨が降らない状態がここ数年続いているようだ。また、市内の建物は黒ずんでいて、いかに空気が悪いかがわかる。ほとんどが車の排ガスによるものらしい。そういえば、昨日、ダマスカスに向かう時に、進行方向の空は灰色だった。

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 バスの中で、添乗員Aさんから今日の予定やダマスカスの観光について説明があった。ワリートさんの英語を訳しているのだった。ローカルガイドさんも日本語がしゃべれるのとそうでないのとでは、受ける印象がずいぶん違う。やはり現地のガイドが少しでも日本語をしゃべってくれると親近感がわいてくるものなのに。
 町の中ではいたるところにアサド大統領の似顔絵看板が見られる。それだけ、国民に大統領の存在を意識づけようとしているのだろう。独裁者である。今、米国の仲介で、シリアとイスラエルの和平交渉が進められているが、このニュースは、ヨルダンのガイドだったモハメッドさん始め添乗員Aさんも非常に注目していると言っていた。シリアという国は、もともと政治的にイラク寄りの国だったのだが、あの湾岸戦争で西側を指示したため、現在、イラクとの関係はよくもなく悪くもなくといってところである。この国に来る前は、周りの国とうまくやってないため、鎖国状態のような国で、治安も良くなく、国境通過でもかなりチェックされるのではと思っていたのだが、昨日からの感じだとどうやらそうでもないらしい。僕ら日本人が、いかにアメリカナイズされた情報しか受けてないことがわかってしまう。

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 バスを降りて、2世紀に建てられたといわれるローマ記念門をくぐり、まっすぐな道をアナニア教会に向かう。この教会は地下にあり、表からはそれが教会であることが全くわからない。とても小さなスペースの礼拝堂が中にはあり、ヨハネの一生の物語が30枚も絵とともに語られている。物語は次のようだ。ヨハネは、ユダヤ教の熱心な信者だったのだが、当時の新興宗教であったキリスト教の信者を虐待する。ある日、天からの光を受けてヨハネは目が見えなくなってしまう。その時、同時に神の声を聞いたのだった。¢どうしてそんなにキリスト教信者を虐待するのか£と。そして、別の場所で、アナニア(牧師?)にも光があたり、神の声があった。¢どこそこで目を見えなくしている者がいるので、助けてあげなさい£と。アナニアがヨハネに手を差し伸べると、とたんに目がみえるようになった。そして、ヨハネはキリスト教に改宗したという話だ。しかし、ユダヤ教信者からは、裏切り者として迫害をうけることになったヨハネだった。これ以後、アナニアは聖人の名誉をもらい、ここに教会を建てたのだ。この話は聖書の中にもかかれているらしい。
 アナニア教会の後は再びバスに乗り込み、国立博物館に向かう。途中、少しの間、パウロの門で写真タイム。ヨハネは、この門の上の穴から、ユダヤ教信者からの迫害を逃れるために逃げ出したことから名前がついたらしい。

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 国立博物館では、カメラ、ビデオはNGなので、バスに置いていく。中ではいつものように添乗員Aさんがワリートさんの話を訳すが、どうもそれだけではない。添乗員Aさんのかなりの経験・知識を織り交ぜていろんな話を聞かせてくれる。ものすごい人だ。博物館の売店で音楽カセットテープを2本買う。コーランのもあったが、日本に帰って聞くことはないだろうと思って買わなかった。買ったのはポピュラーミュージックのようで、いろんな歌手の曲が入っていると店主は薦めてくれた。しかし、コーランは現地で聞くからいいのであって、日本で聞くと、隣近所が不信に思うに違いない(笑)。博物館の庭は、写真OKなので、一度バスに戻り、カメラを取ってきて写真を撮った。

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 サラティーンの墓を訪れ、そのままウマイヤド・モスクに。モスクに入るには、女性はちょっと大変。礼拝用?の衣服に着替えないといけないのだった。モスクの中庭で、カメラの電池がなくなったので、変えようとしたら、予備電池の1本をどこかに落としていることに気づいた。しかたなく、3本を新しいのに、1本だけは使い切った電池にしてみた。これでどのくらいもつだろうか。スーツケースの中には、緊急用に準備したアルカリ乾電池があるのだが。。。
 ウマイヤド・モスクの中は、ちょうどお祈りの時間で信者でいっぱいだった。入り口で靴を脱いで、絨毯の敷かれた広いモスク内を厳かに歩いていく。立ち止まり、説明する添乗員Aさんの声もとても小さい。周りの信者達はその説明をとても不思議そうな顔して聞き入っている。意味がわかるはずもないのに。このモスクの中には、ヨハネの首が奉られているという。これは本当かどうかわからないのだが、中を覗いてみると、棺があり、その下には札がいっぱい落ちていた。

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 そして、予定にはなかったアゼム・パレスを訪れる。ここは、民族博物館のようなもので、イスラム人の生活を再現したものが見られる。時間を決め、自由に回った。写真を撮ると部屋の監視員がじっとこちらを見ている。もしかしてと思ったらやはり、写真はNGとのこと。しかし、撮れ撮れとも言っている。その代わり、チップをあげればいいらしい(笑)

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 昼食中に、ユーラシア旅行の一行と合流した。その添乗員の話だと、パルミラは寒いらしい。昼食後は、スーク(市場)を自由にぶらぶらする。700mのアーケード街だが、途中、日本語の達者な人がいて、うちの店に来ないかと2回くらい声をかけられた。どこにも日本語のわかる人がいるんだなあと思ってしまった。
 スークを出て、右に曲がって50mくらいのところに馬に乗った人の銅像がある。この前に集合だった。そこで、ついにカメラの電池がなくなってしまった。ところが、嬉しいことに、Kさんがアルカリ電池を貸してくれた。

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 バスに乗り、280k?の道をパルミラに向かう。途中、お手洗い休憩で停車したところはバクダッドカフェというドライブイン。砂漠の中にポツンとある。まさにバクダッドカフェの雰囲気。その近くにベドウィンのテントがあった。みんなでそこまで走っていった。ベドウィンの親子が遊びに来ないかと呼んでいるらしい。何人かで走っていった。若い母親とまだ1歳か2歳くらいの子どもがいた。写真タイム!なのだが、お母さんは顔をかくしてしまい、写ろうとしない。何かお礼にあげようとしたが、残念なことに何も持ってなかった。数人はボールペンとかをあげていた。
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 夜が迫ってきた。あたりはかなり暗いのだが、バスはなかなかライトをつけない。これも省エネのためだろうか。バスはパルミラで一番豪華なホテルに着いた。
 夕食中、ダマスカスのホテルのカーテンの話がでた。みんな、ひっぱったら、ぶちぶちととれたそうだ。安心安心。僕も10個分くらいとれてしまい、やばいと思っていたのだ(爆)

00/01/02 19:19:57 at CHAM PALACE HOTEL(PALMYRA)

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