2 0 0 0 年 1 月 3 日
パルミラ遺跡群観光

rakuda

00/01/03 パルミラ 曇り時々晴れ

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 今日は一日、パルミラ観光だ。しかし、空は薄曇り。朝食後、外に出てみたが、とても寒い。バスの中の気温も9度だった。
 パルミラ遺跡群は、ペルシャと西ローマ帝国を結ぶ交易の中心地として繁栄したゼノビア女王の世界最大級の遺跡だ。今日は、まずエラメルの墓と3人兄弟の墓などのネクロポリスを訪ねる。その後、パルミラ博物館でパルミラ遺跡の概要を押さえた、ベル神殿や750本もの柱が1kmにもわたり並んでいたといわれる列柱通りをめぐる。また、オプショナルとして。日本人が発掘したという地下の墓”オルフェの墓”を見学。夕刻にはアラブの城砦からパルミラの夕景を眺める予定だが、ちょっと曇っているので、心配だ。

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 バスの中には、ワリートさんの他、もう一人の現地ガイドがいた。ジャマルさんという人で、ここパルミラでは仕事を与えるために専門のガイドがつくことになっているらしい。観光客にとっては必要ないのだが。バスはネクロポリスの墓の中で有名なエラメルの墓の前に停まった。墓には4種類のものがある。塔の墓、地下の墓、個人の墓などで、非常に豊かな人は、塔の墓を作っていたらしい。エラメルの墓は塔の墓で、4人姉妹の墓である。A.D.103年に作られたもので、280人分の墓があるらしい。一階部分は1列で6人分くらいの棺が収められるようになっていて、それが数列にわたっている。しかし、2階部分は、ひとつの棺のスペースが広く、特別な人のための墓だったと思われる。この塔の墓は最上部分までどんどんと登って行けるのだ。そして、屋上?まで登ってしまった。はっきり言って、高所恐怖症の人はここには絶対にあがらないほうがいい。僕は高いところは大丈夫だと思ってたんだけど、足がすくんで立つことができなかった(笑) ちょっと強い風でも吹こうものならまっさかさまに数十メートルに下に落っこちてしまうだろう。ちなみにパルミラでは、生前から自分の墓に精力を使っていて、若い頃の顔を彫師に彫らせていた。また、次に生まれ変わっても一緒にいたい人の顔なども自分の隣に彫っているものも多くあった。パルミラの人たちは生前よりも死後の世界を重要視していたので、このようなりっぱな墓を作っていたと言われている。

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 次に地下の墓である3人兄弟(マラ、サキ、ナミ)の墓に行く。A.D.260年のものだ。入り口のドアの上に文字がかかれている。アラミック文字で”棺のスペースをお貸ししますよ”とかかれているらしい。ちなみにアラミック語は右から左に読む。この墓は、最大400人入れるらしい。中はT字型になっていて、それぞれに3人の棺が収められていたらしい。ここでは、人が死ぬと墓の真ん中で会食があったのだが、なくなった人も食べられるように、彫刻の人物は手を反し、何かほしいというしぐさになっている。また、このあたりでも涙坪が見つかっていたらしい。涙坪は、ダマスカスの博物館でも見られたが、これは、だんなが死んだときに妻が流す涙をいれるためのものだったのだ。そして、良く見ると、一つ一つの棺の幅が狭いが、これは、人が斜めになって収められていただろうということだ。

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 博物館は、例によって中は写真禁止。中に入ると、右側に洞穴の中で生活している原始人の模型がある。これはなんと1万4千年前のものを再現しているそうで、入り口から見て、左側には、そのころ使っていたと思われる石器類が展示してある。そんな昔にこの土地に人間が生活していたのだ。また、パルミラ遺跡を復元した模型なども展示してあり、ここで当時の様子を頭に入れた上で、実際の遺跡の中に飛び込んでみたい。
 いよいよ、パルミラの遺跡の心臓部に入っていく。ベル神殿から、記念門、円形劇場、四面門、取引場、そして列柱道路を通り、ディオクレティアヌス城砦に向かう。とても、広い遺跡だ。歩いていると当時の様子がなんとか想像できる。遺跡を楽しむにはいかに当時の様子を想像できるかによるらしい。そのためには知識も必要だが、想像力が一番大事なようだ。僕の貧しい想像力でもなんとか楽しめるのだった(笑) それほどすばらしい遺跡だ。
 一通り、見た後、昼食。とてもご飯が美味しいレストランだ。ナツメヤシも試食させてくれたが、買わなかった。しかし、甘くて美味しい。

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 午後はオプショナルで日本人が発掘した地下の墓に向かう。ここは、現在も発掘作業が行われているところで、中には材木などがある。一般には公開されてなくて、日本人観光客としては初めて入ることになる。発掘隊は去年の9月に引き上げているらしいが、今年も引き続き、行うのであろう。奈良大学の発掘隊だ。その他、2つの地下の墓を見せてくれた。なかなか一般の観光客には見せないもので、最後の墓は、キーをあけてくれた人も12年ぶりにあけたそうだ。見学後、一度、ホテルに戻り、夕日にあわせて再び出発することにした。
 夕日は残念ながら、見れそうになかった。地平線あたりは雲で覆われている。でも、アラブ城からのパルミラのパノラマは一見の価値がある。城自体はあまり見るものはないが、なんだかジャングルみたいで、城の周りをぐるぐるしてみた。入り口には、夜景をみるためだろうか、欧米の観光客がビールを持ち込んだりして、日がとっぷりと暮れるのを待っている。
 僕たちは、景色を堪能したあと、ホテルに戻った。

00/01/03 19:05:30 at CHAM PALACE HOTEL(PALMYRA)

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