1 9 9 9 年 1 2 月 3 0 日
ペトラ遺跡観光

rakuda

1999.12.30 ペトラ 快晴

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 5時半に目が覚めてしまった。モーニングコールは6時半なのだが、まだ時間がある。添乗員Aさんがホテルからの景色がすばらしいと言っていたので、6時過ぎにはベッドから飛びおきて、カーテンを開けてみた。目の前に広がったのは、とてもダイナミックな岩山群の景観だった。日の出直前で、空がオレンジ色に輝いている。ペトラの町でも見えるのかと思っていたので、そのギャップにとても驚いた。なんだか映画のセットのような景色だ。早速、着替えて写真を取りに外に出た。朝食はその後だ。
 朝食で、添乗員Aさんと一緒になった。ペトラの話をいろいろ聞いてみた。自分がいかに不勉強でこのツアーに参加したか恥ずかしい思いだ。まず、ペトラという町は存在しないこと。ペトラは遺跡の総称で、昔、ペトラ遺跡に住んでた人を政府が観光地化のために、立ち退きを命じたらしい。これはここ10年くらいのこと。それまでは、この土地にくるにはあまりにも足がなくて、世界的な観光地としては認められたものではなかったそうだ。立ち退いた人々は、その代わりにペトラで商売することを許されたそうだ。なので、現在、ペトラ遺跡の中で商売している人たち(ロバ、馬、ラクダを引く少年達も)は、その昔、遺跡に住んでいた人らしい。

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 バスは7分で遺跡入り口に到着。昨日と違って小さなバスになってしまった。しかも、網棚には他のツアー客の荷物がたくさん積んである。入り口からは、ほとんど全員馬に乗って700mの距離を歩く。モンゴルに比べたらとっても楽チンだ。しかし、馬ひきのお兄ちゃん達、「俺の馬に乗れ!」と客の奪い合いだ。馬に乗ってしばらくいくと、カメラマン?が一人ずつ写真にとっている。そういうことかあ。帰りに売ってくるんだろうなあ。心の中とは裏腹に思わず笑顔になってしまった。降りるときに馬引きのお兄ちゃんは腰にぶら下げた時計をくれと言ってきた。「これはだめだよ!」と言って2ドル渡した。添乗員Aさんから2ドルで十分と言われているのだった。それでもお兄ちゃんは「ワンモアダラー」と要求してきたが、もちろんさっさと断った。
 シークの入り口が見えていた。シークとは、赤い岩山の間の暗く細い道のことで、ここを通っていくと、突然巨大なばら色の神殿”エル・ハズネ”が現れるのだ。シークの道はずっと平らで、思ったより幅は広かった。時々モハメッドさんの説明を聞きながら、ゆっくりと進んでいく。もうそろそろかなって思っていても、まだ続くシーク。ここの路面は歩きやすくするため?どんどん掘り下げていっているらしい。ところどころで、ローマ時代の石畳が現れている。モハメッドさんが言った。「皆さん、右側に寄ってください。ここに水路のあとが続いてます」。しかし、全然、そんなものはない。???。そして、再びモハメッドさん。「さあ、道の水路は中央を通って左側に続きます」。???。「さあ、皆さん上を見てください」。わあ〜〜!!岩の間から巨大なばら色の神殿”エル・ハズネ”が見えてきたのだ。これがあまりにも有名な一瞬!\(*◇*)/ドラマチックな一瞬だった。モハメッドさんなかなか演出がうまい!\(^o^)/

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 エル・ハズネからもペトラの観光は続く。実はつい最近まで、ペトラというのは、シークとこのエル・ハズネで終わりかと思っていたのだが、大きな間違いだった。ペトラはもっと広くて見所が多いのだ。宮殿古墳群や円形劇場などを見て少し休憩。その休憩所には岩をくり貫いたトイレがあった。チップが必要だが、ここはお勧め。天井岩の模様がとてもきれいで、用を足した後は写真タイムになってしまう。
 お土産屋で砂を瓶につめてラクダやらなんやらの模様を作っている職人がいた。ここで、5ドルで名前入りのを作ってくれるとのこと。アラビア語でkeizoって書いたのがどうしてもほしくて買ってしまった。帰りにはできているらしい。
 昼食後、岩の山々や渓谷の素晴らしい景色を眺めながら、エド・ディル(修道院)に向かう。これからさらに一時間くらい歩くらしい。それも上り坂。時々、ロバをひいた少年が「ファイブダラー!」と言いながら通る。日ごろの運動不足で、三分の一くらいで、足が痛くなってしまう。しかし、ゆっくりと休みながらなので、すぐ回復。それでも最後のほうは、足が棒のようになってしまった。モハメッドさん再び説明。「皆さん、早くこちらに来て左の岩山を見てくださーい!」。みんな疲れているので、素直に見る。何も目新しいものはない。「さあ、右を見ましょう!」。エド・ディルだった。これも巨大。色はエル・ハズネほど鮮やかではないが、苦労して登ってきたかいあって、「やっとたどり着いたんだあ」って達成感みたいなものがあった。30分くらい休憩したあと、再び、降りていく。降りるのは比較的楽だったが、やはり最後のほうはひざが笑ってしまい、何人か、砂で滑って転んでいる人もいた。しかし、ペトラってとても広い!エル・ハズネまで、戻ってきたときは、日は傾き、夕方の雰囲気だったが、岩肌が燃えるような赤色にまでなってなくて、なかなか自分の思った通りの写真は取れず残念。。それにまだまだ観光客は多かった。
 ホテルにつくころ、バスの窓から夕日が岩山に落ちていくのを見れたのは、ラッキーだった。明日はワディ・ラムを4WDで駆け抜け、その後はアンマン市内観光だ。明日も埃塗れになるようだ。

1999.12.30 18:52 at GRAND VIEW HOTEL(PETRA)

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