柩には「我にふれるものに災いきたる・・」的な呪いの言葉があるそうだ。盗掘を防ぐ目的だったんだろうか。長らく柩をあばくフトドキモノは出なかった。この廟の外壁やシャフリサブスの建物を破壊しまくったブハラのハーンさえ手をつけていない。ところが1941年、旧ソ連の高官と学者が開けてしまった。するとドイツが攻めてきた! ・・・どんなにビビったことだろう。思うに、彼らの脳裏を「ツタンカーメンの呪い」がよぎったんじゃないかと。慌てて柩をもとにもどしたらしい。

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