カイルアン〜グランド・モスク〜
ウマイア朝の命をうけたウクバ・イブン・ナーフィがやってきたのは7世紀のこと。彼はここに、軍事上の足がかりとなるイスラムの都をつくった。この場所を選んだのには2つの説がある。長い旅路のはて、彼は地面に槍を突き刺した。するとそこに泉が湧いたではないか!彼は神の啓示と思い「ここがカイルアンの場所だ(キャラバンの語源がカイルアン)」と部下達に宣言した・・・。もうひとつの説。ここは当時敵対視していた高地のベルベル人、沿岸部からのビザンチンの襲撃を迎え撃つには最適な位置条件だった。また平原ゆえ水と食料の確保が容易であった。どうだろう。現実的に考えると後者のほうが正しそうだが、僕としては神の啓示説が好きだ。ともあれ、カイルアンにマグレブ最初のモスクが建てられた。世は移り支配者はかわれど、カイルアンはイスラムの聖地として尊ばれている。