ローマ時代にネクロポリス(墓地)だった場所に、礼拝堂ができ(=4世紀)、その上に聖ソフィア教会が建てられたとされる。首都の名前も教会に由来するという。また6世紀の教会は一般的に箱形だったらしいが、聖ソフィアはラテン十字架(=十字架、と聞いて僕達がふつうに連想する形)にドームをのせた、当時極めて斬新なデザインとの事だ。オスマン帝国の支配下で長らくモスクとして使われていた。しかし1858年の地震でモスクのミナレットが崩れムスリムの子供が亡くなったそうである。奇しくもイスラム安息日の金曜日の災厄であり、建物は修復される事なく放置となった・・・復元工事が手がけられたのは1900年代。花輪があるのは無名戦士の慰霊碑らしい。

このウィンドウを閉じます